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神奈川県川崎市東部及び中部から横浜市北東部にかけての、多摩川と鶴見川にはさまれた地域周辺に点在する34の寺院、庵、御堂などからなる霊場です。各々は札所と呼ばれ、宗派や安置する観音様はさまざまです。観音様の御加護、ご利益を願って多くの巡礼の方々が霊場を訪れています。
日本の三大観音霊場として、西国三十三札所観音霊場、坂東三十三札所観音霊場、秩父三十四札所観音霊場があり、併せて満願の百札所を形づくっています。史述からは、霊場としてのまとまりができたのが、西国霊場は1161年創始、坂東霊場は西国霊場以降、秩父霊場以前に創始、秩父霊場は1234年創始、といわれています。初めは僧侶による巡礼行でしたが、後代には庶民の間に観音信仰が広まり、霊場巡りが盛んにおこなわれるようになりました。特に、江戸時代には、三大霊場にならって、それぞれの地方に独自の観音霊場が成立しました。
当准秩父観音霊場もその一つで、1番札所眞福寺に残っている記録によると、1810年には既に始まっていたようです。
准秩父観音霊場では、12年に一度、観音様の眷族(けんぞく:従者)である馬にちなみ、午(うま)歳の4月に全札所一斉に開帳されます。御開帳の折には、観音様の厨子の扉を広く開け、観音様の尊姿尊容を鑚仰参拝していただきます。また、観音様の指に結んだ糸を長く延ばした五色の"善の綱"に触れていただくことにより、大慈大悲の観音様と深く結縁し一体となる、即ち観音様そのものへ発心化身していくという信仰が今に伝わっております。
■当霊場は平成26年4月10日から30日までの21日間にわたり御開帳しておりました。一番札所では、1200名に近いご参拝をお受けしました。他の札所でもたくさんの巡拝の皆様に観音様と結縁していただきました。
■霊場では御開帳に合わせて、札所案内を兼ねた集印帳を発行しました。集印帳には各札所でお渡しする朱印札を綴じ込むようになっています。集印帳と朱印札は、御開帳期間の終了後もお分けしておりますので、ご希望の方は各札所にてお尋ねください。(都合により不在の札所もございますので、念の為お電話などでお問い合わせの上、ご参拝下さい。)集印帳は500円、朱印札は300円で、各札所一律となっておりますので、御奉納をお願い致します。
「観音さま」は、正式には「観世音菩薩」のことで、「世音を観ずる菩薩」、即ち、悩み苦しむ人々の救いを求める声や姿に感応し、それぞれに自在に姿を変じて手を差し伸べる最高位の仏道修行者とでも言えます。仏界に列する力と格を有しながらも、敢えてこの現実の世界に在って、悩み苦しむ人が一人たりともいなくなるまで、正に"漏れこぼしなく、間違いなく救う"という誓願をおのれ自身に立てて我々に寄り添い、どこまでも一緒に共に仏道を歩んでいってくださる先達と捉えておきましょう。 「観世音菩薩」自体については、「法華経」の「観世音菩薩普門品」(観音経)のなかに様々な寓意を以って詳しく述べられています。法華経は、紀元400年頃に鳩摩羅汁(クマーラジーバ)という西域の僧によってサンスクリット語から漢語に翻訳され 中国に広まりました。観音経では、「観音さま」は自在に姿をかえ、七観音のほか、33の姿に身を変えて(三十三応現身)救済に現れると説かれています。 日本では、538年に仏教が伝えられてほどなく観音信仰が伝わり、聖徳太子の時代を経て法隆寺の救世観音や、百済観音などの正観音菩薩像が造られました。奈良時代以降(700年〜)には、多くの変化観音像が造られました。日本の観音信仰は1400年以上にわたる歴史を携えています。 次に、七観音について簡単に説明します。
気持よく巡拝して頂くために、下記の事柄にご留意ください。
地図上の番号は札所番号です。地図の下に札所番号と札所名一覧表が表示されています。
札所名をクリックして頂くとホームページが表示されます。
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